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「ギャンブルにはどうやっても見えない闇の部分が50%ある」という認識
山口瞳著「日本競馬論序説」に、かの阿佐田哲也が「ギャンブルにはどうやっても見えない闇の部分が50%あると心得るべきである。努力でどうにかなるのは残りの50%に過ぎない。」というようなことを言ったとある。

競馬にも、騎手のミス、騎手のファインプレー、展開のアヤ、馬の気まぐれ、見えない疲れ。
確かに、努力では如何ともし難い部分が多いのは間違いない。
しかも、それが偶然の負けであろうとも、負けは負けとして単純に処理される。

自分からは影響を与えようもない他人+馬の行動について賭けているのである。
「長期的な回収率」に関しては実力を鍛えることで向上させることは可能であろうが、こと「一発勝負で当てる」という意味においては不確定要素だらけでどうしようもない。
確かに、阿佐田哲也の言うとおりであると思う。

ゆめゆめ、「一発勝負で勝ちたい、そこで勝つのがエライ」などと思わぬこと、仮に当たったとしてそれは勝負強さなどではなく単なるマグレだという事実を認識すること。
自明であるが、疎かに出来ない基本的なロジックである、と思う。

日本競馬論序説
山口 瞳 赤木 駿介 / 新潮社
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by UMARYU | 2006-04-27 02:17 | ギャンブル哲学
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